見たい映画があるときは、設計作業の合間や外の打合せが早く終わった時などサッと見に行きます。
それでもなかなか行けず、11月から見たい映画が3本ほどたまり,映画の終了が間近に迫ったため、2週間で3本見に行きました。
その映画とは、
象の背中 ・呉清源 〔極みの棋譜〕 ・続・三丁目の夕日 共に新聞に取り上げられ、見ごたえのある映画でした。
象の背中
エリートサラリーマンがある日医者から、末期癌で余命6ヶ月と宣告され、その後の人生。
呉 清源 〔極みの棋譜〕
昭和の初期から戦後の激動期、中国生まれの呉清源が「昭和の棋聖」といわれるまで孤独と戦いながら「棋士」としてどう生きたか。
続・三丁目の夕日
貧しく売れない小説作家が奮起し 芥川賞 を目指して自分の人生を賭けていく。
共に共通しているのは、人間が人生ギリギリの中で何を選択し、何を心の支えとして生きていくかという事を、私たちに突きつけています。
時代を超えて人間を支えてくれるのは、家族の絆であり、友人であり、今は失われましたが 三丁目の夕日 のような隣近所の人たちの、温かい励ましや愛情なのでしょう。
心に残る重い映画でした。
いい映画の後、余韻を楽しみながら飲むコーヒーか一杯のビール、至福の時でもあります。
映画 続・三丁目の夕日 の話
映画は見る人の生きた時代、年齢そして職業によっても見方や感想も異なってくると思います。私は建築家という職業柄どうしても
住まい、家族、暮らし に目が向いてしまいます。
またこの映画は昭和34年、5年後に東京オリンピックっを控えた東京が舞台。
東京から遠く離れた山形に育った私も同じ時代の空気や、少年時代に共有した原風景に重なる部分も多い映画でした。
この時代は今は死語になってしまった
向う三軒両隣の人情も生きていて、誰もが貧しくつつましい生活でしたが、助け合いながら、明日の未来を信じて生きた時代でもありました。
住まいは
茶の間を中心に寝室、縁側、台所が並び、茶の間には映画のように家族と共にいつも近所の人たちや、子どもの姿がありました。
どの家庭も子どもの勉強机は茶の間のちゃぶ台で、折りたためば遊び場や寝室になりました。もちろん専用の子供部屋はありません。
茶の間が子どもにとって
社会性や人間性を学ぶ社会の窓であったことが、この映画でも語られています。
昭和30年代は
「三種の神器」と言われたあこがれの商品、
白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機 を手に入れるため皆一生懸命に働きました。そしてひとつひとつ買い揃える事が家族の絆を確かめる事でもありました。
三丁目の夕日 はそんな高度成長の幕開けの時代でもあり、社会も家族も大きく変容する時代が背景になっています。
主人公の茶川龍之介がお金の力で子どもを引き離そうとする資産家に、「金では買えないものがあるんだ」 と言う叫び。それは監督、脚本を手がけた山崎 貴 監督の
「どんなに時代が変わろうと、変わらない大切なものがきっとある。」 というフレーズの中に集約されたメッセージでしょう。
しかし、六本木ヒルズにオフィスを構えた東大卒のI T長者が、「人の心を含め金で買えないものはない。」というおごりの言葉が、一部の人達であれ受け入れられている状況に、時代の危うさを感じます。
この時代から50年を経て、社会や産業構造も大きく変わりましたが、最も変わったのは
家族と子どもが育つ住環境ではないかと思いました。
私たちはこの50年で何を得て、何を失ったのでしょうか。失った代償は何だったのでしょうか。
この映画は、そんな重い問いかけをしながら面白く、重さを感じさせない心温まる映画でした。
第一作目からわずか二年で続編が出来たことは、この映画が単なるノスタルジーや郷愁ではないことを物語っているのではないでしょうか。